遷都:ここが本家です
人間「どうしよう」なんて言ってる時はな
本当はどうすべきか99%わかっている時だ
すごい!その通り。
このころから、teacupに戻りたいと思っていたのでした。
ライブドアは昔のようにミラーブログに降格し、ここを本家にします。
ここが本家と言っても、ホームページからのリンクをteacupにするだけのことですが。
優柔不断なので、うろうろしてしまいましたが、優柔不断は昔から。
大井町にある東芝病院。医者2年目の昭和54年に1年間と昭和60年から平成1年までの4年間お世話になりました。
超音波装置や3D表示の装置などの開発で医療機器事業部の方と研究をさせてもらえるなど、私にはぴったりの病院でした。
そして平成1年の医局長選挙。医局長に選ばれてしまいます。その辺はここに詳しく書きました。
医局長が務まらず、レーザー砕石という研究テーマも放り出した私は、自分で探した民間の透析病院に就職するつもりでした。
こんな気の弱い男が民間病院で生きていけるわけがない、と教授は親切にも青山病院の医長にしてくださいました。
東芝病院より都立病院のほうが身分が保証されているから、結果的にはよかったね、と平成1年のどたばたを傍で見ていた友人に言われました。
青山病院には定年までいていいかな、と思っていたのですが、次の教授に呼ばれてまた大学へ。
臨床がしたいのか研究がしたいのか、何をうろうろしているのか、と思われたでしょうし、自分でも振り返ってそう思います。
でも、青山病院は私が63歳になる前になくなってしまいました。
青山病院の先行きに不安を感じたので、大学に戻ったわけではありません。
時代の流れを読める男ではありません。優柔不断なだけなのです。
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