受難週の棕櫚の日曜日(パーム・サンデイ)に、私はオルガニストとして礼拝に奉仕させて頂いた。生憎半月も続いている風邪で微熱もあり、この体調で御用が勤まるのかと心配だったが、何とか後奏曲も無事弾き終え、思わず目を瞑って感謝したのだった。

礼拝後の愛餐会で、Y夫人からヨルダン旅行のお土産を頂き吃驚したが嬉しかった。お出かけになる前に「何か石ころでも拾ってきて下さい。」と戯れに申したことを、真面目なYさんは700グラムもある岩石を鞄に詰めて持ち帰えられたのである。

愛餐会後すぐに月例の委員会があり、ゆっくりお土産話をお聴きする暇がなく、僅かに「この石は、モーセが杖で叩いて泉が湧き出たと伝承されている近くにあったのですよ。」とだけを伺ったのだった。

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 旧約聖書の出エジプト記17章に、モーセがホレブの岩を杖で打ち、岩からほとばしる水で民の渇きを止めたとある。エジプトを脱出したイスラエルの民が、シナイ半島の荒れ野をさまよい、飢え渇いた事実を聖書は詳しく記録している。民はモーセに不平を鳴らし、この荒れ地で死ぬぐらいなら、エジプトで奴隷として死ぬ方がまだましだと迫ったのだ。干上がった川底が続く乾いた不毛の大地、聖書で「シンの荒れ野」呼ばれている場所に、Y夫人も行かれたのだろうか。

 帰宅して、現地の新聞紙とプチプチ(気泡シート)に包まれた乳白色の岩石を手に取った。ずしりと重い。その断面二箇所から中に水晶体の礫(小石)が幾つか覗いて見える。これらの礫を包み膠着しているのは石灰質のものだろうか。スプーンの柄でこすってみたが固くて削れないところをみると、やはり相当の年代を経ているに違いない。



     



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 翌日、かつて世界各地の鉱山を調査された知友のS氏をお訪ねして、このヨルダンの石を見て頂いた。しばらくルーペでためつすがめつされたSさんは、メモ用紙に Brecciated Quartzite と書いてくれた。訳すと「角礫化」「珪岩」である。

 角礫岩は、角稜を有する岩石の破片が堆積して砂、粘土など膠着物によって固結した岩石のこと。たしかに、水晶体の石には角稜があるが、Sさんは角礫breccia ではなく、角稜と書かれたのは、膠着物が高熱で変色したりしているところから、角稜は侵食によって出来た可能性ありと見られたのだろう。珪岩とは、主として石英(水晶)の粒から成る堆積岩または変成岩のこと。質は緻密で硬く、白、灰色、まれに赤色を呈するとある。

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アフリカ北東部から西南アジアにかけての地図を改めて眺めた。アフリカのヌピア砂漠あたりからナイルのアスワンを抜け、紅海を横切り、アカバ湾を北上して死海の先ガリラヤにまで至る大地溝帯がこの石の産地であろう。

私の手元に来るまでに、石英の溶液で置換され角礫化したこの珪岩は、何万年もの間砕かれたり焼かれたり堆積したりと、気の遠くなるような長い歴史を内に抱き、今じっと黙しているのだ。

そう言えば、棕櫚の聖日礼拝で昇階唱として選ばれていたのは聖歌集(日本聖公会)103番で、その歌詞では「星は黙して石は叫ぶ、石は叫ぶ」がリフレインされるのだった。この石も叫ぶ時があったのだろうか。

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このヨルダンの石をぬるま湯で洗った。不毛の大地で乾いた風に吹かれていただけではなく、時には雨に打たれたこともあるだろうが、やはりお湯で洗われて吃驚してくれたのではないだろうか。タオルで濡れた石肌を拭き取ったら、ほのかにヨルダンの荒れ野の匂いが漂い出た。

 ヨルダンの石は、出来たら自分専用のオルガンの上に置いてあげたいが、それが叶うまでは書棚が彼の仮の住まいである。

200810

北 島   悟

日本聖公会 真光教会 オルガニスト
湘南モーツァルト室内合唱団 指揮者

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4. ヨルダンの石

「ヨルダンの石」

サロンでは温かな雰囲気作りに、色々と心をくだいて下さる北島さんです。いつも本当にありがとうございます 























今回の記事を書いて下さったのは、北島悟さん。サロンの常連さんで、教会オルガニストをお務めです。文化・芸術を愛される方で、折にふれ素敵なエッセイを書きとめていらっしゃいます。

アデルフィアのためには、教会オルガニストとしてのご経験を踏まえて、レント(受難節: イースター前の季節で、イエス・キリストの十字架を覚えて過ごします。教会暦の一つです)にふさわしい、しっとりした文章をお寄せ下さいました。

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