メーリングリストの話題から(つづき)

 

音楽のジャンルについて〜クラシック音楽ってなに?〜

[ml-wmc 64] from Aさん

[ml-wmc 27]で、Iさんが、
私はバッハを好んでよく聞きますが、モーツァルトはオペラ以外は、ほとんど関心がなく聞きたいとも思いません。私みたいなタイプの人はいるのかしらん?

と書かれていました。一方、Eさんが、[ml-wmc 56]で、
モーツァルトあたりが馴染みやすい。お袋の味噌汁が一番おいしいと感じるように。

と書かれていましたが、私は、作曲家や演奏家、音楽のジャンルなど による好き嫌いがほとんど無いのです。 ある作曲家のある好きな曲であっても、ひどい演奏(何をもってひど いと言うかは、短い言葉では説明できませんので省略)だと好きにな れません。 逆に、どんなに心を込めて、上手に演奏されても、聞きたくない曲も あります。

確かにバッハとモーツアルトでは全く傾向が異なりますね。バッハは、彼以前の音楽家の業績を集大成した人だったと思うのですが、モーツアルトは、新しい音楽にチャレンジした人のように思えます。モーツアルトの時代に、クラリネットをオーケストラの楽器編成の中に組み入れることは、普通の人では出来なかったのだろうと思います。

[ml-wmc 63]で、Hさんさんが
ハードロック(ヘビーメタル)は私が好んで聞くジャンルですが、

と書かれていますが、私もヘビメタは好きです。

ところで、私がM.K.さんの詩「Yuming Rhapsody」に付けた曲を聴いて頂けましたか?
この曲の中間部は、今は有名になった Luna Seaの昔の曲「STEAL」からのパクリです。ただ、ちょっと聴いただけでは、分からないかもしれません。
「エリーゼのために」を「情熱の花」に変えたり、ビゼーの「真珠取り」をタンゴにしたりと言う、クラシックからポップスへのパクリは良くありますよね。このようなことをした人は、異なったジャンルの音楽を楽しんでいる人だと思うのですが。

要するに私が言いたいのは、ジャンルなんて好き嫌いとは関係なくて、ジャンルに関わらず、好きな曲や好きでない曲、好きな演奏や好きでない演奏があるように思うのです。

#好きな曲がたくさんあるジャンルを好きなジャンルと言うのかも

ご「異」見を、お願いします。

[ml-wmc 66] from Bさん

「異」見でなく、まずは同意です。こういう音楽の好みというのは、それぞれの人の育ってきた環境、考え方などが反映されて実に面白いですね。ジャンルに関係なく、良い音楽には、それぞれ魂があり、その中の何かが人をインスパイアするのですね。私自身は、クラシック以外の音楽ではかつてロックに影響を受けました。(またこれも、私がクラシックの演奏において中途半端であると誤解されることがあるので、普段演奏活動をする際は黙っています。本意ではないので。ロックイコール、ミーハーなだけと思っている人が多いんですよね、特にクラシック関係者は。)

私の好きなアーティストは、海外ではエルビス・コステロ、スタイル・カウンシル、XTC、エコー・アンド・ザ・バニーメンなどイギリス人が多く、(高校時代はよくライブにも行きました)国内では、佐野元春に感化され、(自分の音楽とは全くスタイルが違うので、精神的に、という意味ですけど。)他にはフリッパーズ・ギター、カヒミ・カリイ、ムーンライダーズ等好きでした。

私の場合は自分が演奏する行為がそのまま音楽の喜びということになってしまうので、いつしか、自分と異質なロックを聴くことが出来なくなってしまいました。身体が2つあったらいいなと思うのですが。でも、FMでコステロが流れてきた瞬間に、普段聴かないのに、ふっと心がいまでも震えるのですよ。

全くそれが時空を超えてしまう、音楽というものの、面白さであり、手強さであると 思います。

[ml-wmc 107] from Fさん

クラシックを好きになったきっかけは、私は元々Heavy MetalやHard Rockが好きで、それらの音楽にはクラシックの名曲のフレーズが多々挿入されていたからだと思います。その為か、比較的バッハが好きです。
#何故か、バッハの曲が取り上げられることが多いのです。

そういった音楽をずっと聞き続けていたので、その元ネタのクラシックを聞いた時にもすんなりと受け入れることができたのだと思います。まぁ、クラシックの入り方としては、ちょっと普通の入り方ではないような気もしますが(笑)

そうやって、クラシックに興味を持ち始めて聞いているうちに、対位法などのメロディ同士が複雑に絡み合うことによる美しさに目覚めた、と言いますか、その構成の美しさに惹かれてずっと聞き続けているという次第です。

とはいっても、HM/HRやクラシックばかり聞いているというわけではなく、邦楽も聞いたりします。

[ml-wmc 108] from Aさん

まぁ、クラシックの入り方としては、ちょっと普通の入り方ではないような気もしますが(笑)(by Fさん)

今は、50歳になった団塊の世代と言われている世代にも、ビートルズ からクラシックを知ったと言う人達がいます。

とはいっても、HM/HRやクラシックばかり聞いているというわけではなく、邦楽も聞いたりします。(by Fさん)

このMLを始めるときも、クラシック専門にしようとしたわけではありません。ただ、クラシック食わず嫌いの人、また正反対にクラシック以外は、音楽ではないというような人がいたりして、どちらもちょっと違うんじゃないと思ったので、クラシックに重点を置くことにしました。

はっきり言ってド素人な私ですが、よろしくお願い致します(^^)(by Fさん)

音楽に限らず、芸能(あえて芸術とは言いません)を育ててきたのは、また、育てているのは、素人でしょう?
玄人とは、お金が取れる人、素人とは、お金を払う人ですからネ (^o-)y

[ml-wmc 110] from Gさん

クラシックを好きになったきっかけは、私は元々Heavy MetalやHard Rockが好きで、それらの音楽にはクラシックの名曲のフレーズが多々挿入されていたからだと思います。その為か、比較的バッハが好きです。
#何故か、バッハの曲が取り上げられることが多いのです。(by Fさん)

そういう方も多いのかも知れませんね。私は逆の経験が有ります。
かなり前ですが、イギリスのロックグループ「プロコルハルム」の「青い影」という曲を始めてきいたとき、良い曲だ思いました。これはバッハの曲だが、はてなんだったかなとずっと思っていました。どこかの本で、「G線上のアリア」を元にしていると読んだ覚えがあります。そういえばそんな感じですね。

他にもバッハの「小フーガ」を使って曲を書いていたグループも有りましたが、名前を思い出せません。

[ml-wmc 109] from Aさん

Fさんのメールに対しまして、書こうと思いながら、書かずに、投稿してしまいました。

それは、クラシック音楽って何?と言うことです?

小学館のプログレッシブ英和中辞典 第2版 1993 で classicを引きますと、

  1. 〈芸術品などが〉第一級の,最高水準の,きわめて重要な.=>通例 classic は「一流の,模範的な,すぐれた」の意に,classical はギリシア・ローマの古典(文学・語学・芸術・文化)や作家・思想家に関して用いる.
と書かれています。通常、クラシック音楽を英語では、classical music と言いますので、この説明は、おかしいのではないかと思いますが。
ちなみに、この辞書には、1から7までの説明がありますが、競馬のthe classic races には触れていますが、classical music には、触れてはいません。多分この辞典を作った人の頭の中には、音楽が全く無かったのでしょう。

また、同じ辞典に、

語源 ラテン語 classicus より.(classis CLASS+-icus -IC=あるクラスに属する→最初のクラスに属する,最高の)

と書かれていますので、このとおりだと、ロックや演歌でも、その最高のもの は、クラシックと言って良いのでは無いでしょうか。(いわゆるクラシック音楽 でもくだらないのは、クラシックというべきでは無い?)

何が言いたいのかと言いますと、ロックでもクラシックでも、自分が聴いて、 良いと思った音楽が、自分にとって良い音楽ではないかと言うことです。

バッハの曲は、だれでもクラシックと言います。都はるみさんの歌う「あんこ椿は恋の花」は、だれでも演歌だといいます。では、AMANDA McBROOMさんが作詞、作曲した曲を高畑勲さんが、日本語に訳した「愛は花・君はその種子」を都はるみさんが歌ったCDがありますが、これは、何だと言うのでしょうかね?

また、かずかずの映画音楽の中には、明らかにクラシックの手法だと思える曲が、たくさんあります。ジョン・ウイリアムズさんの「スターウォーズ」などは、イージー・リスニングと言うジャンルだそうですが、私は、これらも堅苦しいクラシックのにしては、楽に聴けるという意味だと理解しています。

この意味では、ニーノ・ロータ、フェデリコ・フェリーニ、フランシス・レイ、ヘンリー・マンシーニ等々、それに日本の久石 譲、坂本 龍一といった人達の映画音楽は、全て現代のクラシックだと勝手に思っています。

おまえ、おかしいぞ。と言われるのは百も承知ですが、あまり、ジャンルには こだわりたく無いと言うのが本音です。

[ml-wmc 111] from Gさん

また、かずかずの映画音楽の中には、明らかにクラシックの手法だと思える曲が、たくさんあります。ジョン・ウイリアムズさんの「スターウォーズ」などは、イージー・リスニングと言うジャンルだそうですが、私は、これらも堅苦しいクラシックのにしては、楽に聴けるという意味だと理解しています。(by Aさん)

私は5/23,24にブルックナーの交響曲9番を演奏しますが、第1楽章のコーダの所を演奏しているとついつい「スターウォーズ」を思い出してしまいます。ブルックナーの金管の鳴らせ方が全く同じですね。

この意味では、ニーノ・ロータ、フェデリコ・フェリーニ、フランシス・レイ、ヘンリー・マンシーニ等々、それに日本の久石 譲、坂本 龍一といった人達の映画音楽は、全て現代のクラシックだと勝手に思っています。(by Aさん)

他のMLに投稿した分からのコピーです。参考まで

ロータ ニーノ  (伊)作曲家 1979.04.10没 没後 19年

11才でオラトリオ、13才でアンデルセンの物語をもとにオペラ作曲、サンタチェチーリア音楽院教でカゼラ、ピツェッティに学ぶ。カーティス音楽院で作曲をロザリ・オースカレロ、指揮をフリッツ・ライナーに師事。1950年イタリアのバリ音楽院長となる。
イタリア・ルネッサンス音楽に関する論文で学位を取る。映画音楽で有名。
K.ヴィダー監督「戦争と平和」
R.クレマン監督「太陽がいっぱい」
F.F.コッポラ監督「ゴッド・ファーザー」
レー フランシス 1932.04.23生 生後 66年

久石さん:レンタルビデオで「となりのトトロ」見て以来、家族全員がファンになりました。以下は関連URLです。 http://www.iijnet.or.jp/JOE-HISAISHI/ Joe Hisaishi Official Homepage
http://www2s.biglobe.ne.jp/~totoro/  ととろのホームページ
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nez/forum/index.cgi久石譲&宮崎駿フォーラム

おまえ、おかしいぞ。と言われるのは百も承知ですが、あまり、ジャンルには こだわりたく無いと言うのが本音です。(by Aさん)

同感ですね。

[ml-wmc 117] from Fさん

と書かれていますので、このとおりだと、ロックや演歌でも、その最高のものは、クラシックと言って良いのでは無いでしょうか。(いわゆるクラシック音楽でもくだらないのは、クラシックというべきでは無い?)

まったく同感です。
ただのジャンル分けの為の用語ではなく、言葉の真意を汲み取ってその言葉を使うとすれば、ですが。

私の中には、「クラシック」という言葉は「いつまでも廃れることのない、永遠性を持った芸術」というイメージがあります。一年たてば忘れ去られてしまう流行の音楽とは違い、クラシックというジャンルの音楽が、何世紀経とうが廃れることのない「人の琴線に触れる何かを持った音楽」であるからです。

だから、仮にジャンルとしての「クラシック」ではなくても、ロックでも演歌でも長い時間廃れることのない曲は、「クラシック的」であると思うんです。

おまえ、おかしいぞ。と言われるのは百も承知ですが、あまり、ジャンルには こだわりたく無いと言うのが本音です。(by Aさん)

たぶん、音楽というのは元々ロックやパンクやジャズやクラシックといったジャンルに分けてしまうことはナンセンスなことなのかもしれませんね。
「心に響く音」というのはどんなジャンルの音にでも持ち合わせている要素で、それがあるからこそ人は音楽という「文化」の体系を持っているのですから。

私も、クラシックからロック、ヘヴィーメタル、パンク、テクノとありとあらゆるジャンルのものを聞きます。たまに友人から、「全然違うもの聞いてるやん」と言われることもありますが、私の中では全然同じものなんです。「心に響く音」という点で。

「良いものは良い」「悪いものは悪い」という、こんな当たり前のことがただの人の作り出した区分(ジャンル)によって見えなくなるのは非常に悲しいことだと思います。

ポリシーがないと言われるかもしれませんが、「好きなものは好きなんやからええやん」というのが私のホンネだったりします。

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発揮できるか草の根パワー〜マスコミ対ミニコミ〜

[ml-wmc 79] from Bさん

このMLでこの頃 皆様の率直なご意見に触れられるようになって、私も大変嬉しい気持ちで一杯です。

クラシック音楽ではこういう媒体は本当に少ないと思います。ロックのことが話題に登っていますが、私はロックから離れてからもずっと、渋谷陽一の「ロッキン・オン」、佐野元春責任編集の「THIS」(残念ながら現在休刊中)、また「バウフ・アウト」(この雑誌はすごく面白いです)というロック関係の雑誌には目を通していました。ロックはクラシックと比べたらおそろしくサイクルが早いので、もうミュージシャンのこと、音の流行については私はわかりません。

でもそこでいつも感じるのはなぜクラシックではこのようにひとりひとりが感じることを素直に述べられる場がないのだろう、という素朴なことで、いつも空しく、絶望的な気持ちになるのでした。

クラシックのいろいろな音楽雑誌などこれらの雑誌に比べたら江戸時代の鎖国状態と現代社会とのごとく隔たっていると思います。例えば、ロッキン・オンなどでは精神的なブランド主義に対しても(それは、メジャーなものに肩入れして、自分の格を上げるといったといった分かりやすいブランド主義ではなくてもですよ。)容赦無く他のライターのつっこみが入り、ライターの文章としての表現の未熟は許されない状態です。まずリスナーとして成熟した態度がもとめられている上のことですから、本当に厳しい世界だと思います。

ところが、クラシックの雑誌に載っているお偉いセンセイの文章ときたら・・!!!(もちろん 全員がそうとは限りませんが)もうブランド主義の垂れ流し状態で、腐りきってます。私の知り合いの演奏家に聞いたところ、そういうセンセイに高いお金を払って自分の演奏会の「素晴らしい」批評を書いていただくのが当たり前の世界ということでした。

これじゃあ今騒がれている政治家の汚職とたいして変わらないじゃあありませんか。なぜ芸術という、人間として最もプリミティヴな感情表現をするべきもので、こういう暴力がまかり通っているのでしょう?

だから、もうこれからは、こういうメディアは信用しないで、皆さん、草の根主義でいいから、このMLのようにリスナーとして自由に意見を交換出来る場があることの幸せを享受し、現状を変えていくパワーがあると、信じましょうよ。

[ml-wmc 82] from Cさん

でもそこでいつも感じるのはなぜクラシックではこのようにひとりひとりが感じることを素直に述べられる場がないのだろう、という素朴なことで、いつも空しく、絶望的な気持ちになるのでした。(by Bさん)

同感です。場がないだけでなく、素直に感じたままを云おうとすると、素人的な発言ととらえられそうで(本人にも、表現力の未熟さという問題はあるのでしょうが)、発言しづらい雰囲気があります。このことは、いくつかのメールの内容にも書かれてますが。

だから、もうこれからは、こういうメディアは信用しないで、皆さん、草の根主義でいいから、このMLのようにリスナーとして自由に意見を交換出来る場があることの幸せを享受し、現状を変えていくパワーがあると、信じましょうよ。(by Bさん)

これも、いくつかのメール内容に重なる部分があるかと思いますが − 自分が気に入っている曲を誰かに伝えたいときに、うまく伝えられないもどかしさ(?)が感じられる時があります。

音楽自体が、元々具体的・絶対的な形をもたないものであるかと思いますから、それに対する感情・心情を表現することが難しいです。"良かった"から「良い演奏」、"心に響いた"から「感動的」なのですが、その音に接した時の自分の心情に基づいて、他人にもその良さを判って欲しい時の形容の仕方が、ある意味で"幼稚な言葉"であったり"文学的言葉遊び"にたよったり(完全にたよれれば、まだいいのでしょうが)しがちな場合が、多いのではないかと思います。

かといって、専門的知識や技術に完全に身を任せて力説することが、その音楽が如何に素敵だったかを語るには難がある、正確に伝えられていないとも思います。"とにかく、聴いてみて! それで、感想を聞かせて下さい"という表現が、気に入った音楽を他人に"適格に"伝える最良の方法の一つなのでしょうか。

解説も書きますが、お客様がその曲の情景を想像し、演奏に入り込んでいきやすくなること以外意図的に書かないようにしています。しかし、それを読んだ方にわたしが何にも理論的に考えていないと誤解されることもよくあり、そのたびがっくりきます(by Bさん)

こういう解説が、実際に、題材とされる音楽を聴く機会に面しているときは、人に音楽を聴いてもらう・音楽を伝える時はとても嬉しいものです(ホントに生意気ですが)。自分の場合、理論的なことを書かれても、演奏からはかなり長く離れて忘れているので(もったいない)、あまりピンとこないというのも事実ですが...

CDなどに付記されている解説欄では、その楽曲の誕生した経緯に対して興味が向きます。特に、ドヴォルザークさんの"スターバト・マーテル"が、誰か特定の人をやさしく包んで守ってあげたいような感覚の曲と感じ受けた時に、実際に彼の子供達の死を契機に書かれたことを知った時は何とも言い表せない気持ちでした

[ml-wmc 79] from Bさん

同感です。場がないだけでなく、素直に感じたままを云おうとすると、素人的な発言ととらえられそうで(本人にも、表現力の未熟さという問題はあるのでしょうが)、発言しづらい雰囲気があります。このことは、いくつかのメールの内容にも書かれてますが。(by Cさん)

本当に、そうですね。「素直に感じたままを」もっと伝え合うことのできる場が増えてほしいですよね。私が先のメールで文章の表現力の未熟ということを書きましたけれども、それは、お金を取っているプロのライターの、公にする文章という意味でしたのです。クラシックを取り巻く状況が、その面から観ましても、不健康で、遅れているなあと常々思っていましたので。

普段私達が、音楽に対する感想を述べる時はもっと気楽でいいと思うんですよね。「かっこいい」とか「何かぐっときた」とかそういうことでいいんじゃないかと思うんですよ。(私自身もそうです。)気楽にいきましょう!

これも、いくつかのメール内容に重なる部分があるかと思いますが − 自分が気に入っている曲を誰かに伝えたいときに、うまく伝えられないもどかしさ(?)が感じられる時があります。音楽自体が、元々具体的・絶対的な形をもたないものであるかと思いますから、それに対する感情・心情を表現することが難しいです。"良かった"から「良い演奏」、"心に響いた"から「感動的」なのですが、その音に接した時の自分の心情に基づいて、他人にもその良さを判って欲しい時の形容の仕方が、ある意味で"幼稚な言葉"であったり"文学的言葉遊び"にたよったり(完全にたよれれば、まだいいのでしょうが)しがちな場合が、多いのではないかと思います。(by Cさん)

これも全く同感です。以前に私はおいしいものを食べた時の感覚と同じでいいのではないかと書かせていただきましたが、「おいしい」と感じ、それを表わす時言葉を重ねるほど陳腐なことになっていくことがありますよね。TVのグルメ番組など観ていて時々そのように感じます。

音楽も同じように感想は言葉で伝えきれないことも多いと思いますから、「良かった」「感動的だった」という瞬間があった、という気持ちが伝えられればそれでいいんじゃないでしょうか。

かといって、専門的知識や技術に完全に身を任せて力説することが、その音楽が如何に素敵だったかを語るには難がある、正確に伝えられていないとも思います。"とにかく、聴いてみて! それで、感想を聞かせて下さい"という表現が、気に入った音楽を他人に"適格に"伝える最良の方法の一つなのでしょうか。(by Cさん)

それは良いですね。私もそうしてみます。

こういう解説が、実際に、題材とされる音楽を聴く機会に面しているときは、人に音楽を聴いてもらう・音楽を伝える時はとても嬉しいものです(ホントに生意気ですが)。自分の場合、理論的なことを書かれても、演奏からはかなり長く離れて忘れているので(もったいない)、あまりピンとこないというのも事実ですが...(by Cさん)

私も全然ぴんとこないです。

CDなどに付記されている解説欄では、その楽曲の誕生した経緯に対して興味が向きます。特に、ドヴォルザークさんの"スターバト・マーテル"が、誰か特定の人をやさしく包んで守ってあげたいような感覚の曲と感じ受けた時に、実際に彼の子供達の死を契機に書かれたことを知った時は何とも言い表せない気持ちでした。(by Cさん)

なるほど。実際そういうことを知っていれば、ますます曲に対する共感がわきますよね。

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