株式会社と市場主義Vs病院と社会的使命
昨日の日経新聞の「
検証・グローバル危機」は、「目先に走った株主経営」というタイトル。
経営方針に口出しする株主の声に圧されて、
あるいは敵対的買収を逃れるため、
あるいは、報酬としてもらった自社株の価値を高めるため、
米企業の経営者が自社の株価を上げる事を目的に行動した結果、
自己資本率が落ちてしまい、不況になるとすぐ倒産してしまった話でした。
株主の声は「自己資本利益率を高めよ」というもの。
少ない投資で大きな利益を!、投資家の当然の主張です。
率を上げるには、分子を増やすか、分母を減らすか。
この場合の分子は利益。利益を増やすのはいいことですが、
株主の声に圧されて経営者がやったことは、分母;すなわち自己資本を減らしてしまったのです。
余剰資金を配当に回し、手元資金を減らしたのです。
株式会社は株主のために存在します。これは正しい。だから株主を向いた経営をしてしまったのは責められません。
将来の競争力のための投資をせず、目先の利益を確保したのはしかたありません。
突然話は飛躍しますが、研修病院は研修医のために存在するのでしょうか?
そうではありません。当然のことですが、病院は患者さんのために存在します。
そのはずですが、いつの間にか、研修医に選ばれる病院(以下、病院を診療科目と読み替えてもらえると私の言いたい事に近づくのですが)だけが生き残れる仕組みに変わりつつあるような気がします。
患者さんが必要とする場所には存在すべき病院ですが、医者が集まらなければ、病院は生き残れません。
医者が集まるためには、まず研修医に魅力ある病院でなければなりません。
2年間で何を教えてもらえるかだけを基準に病院を選ぶ研修医と、その要求に答えられるカリキュラムを作れることが大事な業務となった病院。
研修医に魅力ある病院とは、規模が大きくて、あらゆる分野の専門家がいる病院なのです。
地方公共団体が赤字覚悟で人件費を値上げしても、400床未満の地方の公立病院には医者が集まらず、消滅していくのかもしれません。
赤字を出し続けることが許されない私立病院はもっと早く消滅するのかも知れません。
マッチングでどこにでも行ける今の研修医制度と、大学の医局に入局し教授が人事を掌握していた昔の医局制度。
投資家の声に従った結果、景気が悪化した今あえいでいる米企業と、古い取引慣行が成長を阻害した日本企業。
何か構図が似ているような気がします。
値上がりしそうな株を買うのが普通の株主ですが、株を買ってから、経営に口を挟んで株価をあげようという投資家が出現したように、
だまって先輩の背中を見て技術は自分で盗め、だった徒弟制度から、ちゃんと教えてくれなきゃ就職してあげない、の世界へ。
どちらがよいとは言えないところも似ています。
構図が似てると言えば先程の、率を上げるには分子を増やすか分母を減らす、という議論は医療現場でもあるんです。
ベッドの利用率を増やせ、というのは病院の経営会議での重要議題です。
この場合、分子は入院患者数で、分母はベッド数。
いかにして患者さんに選んでもらえる病院にするかという議論を本来すべきですが、
分母のベッド数を400床から300床に減らして、数字上のベッド利用率を70%から90%に上げようという議論に変わるんです。
ちなみに、ベッド利用率を90%まで上げると、緊急入院に対応できないんですよね。
金曜に退院した患者さんのベッドを次の患者さんが入院してくる月曜まであけておくだけで利用率は90%に落ちるんです。
土曜日にベッドは空いているんですが、別の人を緊急入院させてしまうと、予約患者さんが月曜に入るベッドがなくなるんです。
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