訪れた日は真夏の暑い日だった。木々がうっそうと生い茂り、ツタが絡まった建物との境が判然としない。敷地には複数の建物が建ち、年月をかけ住まいの陣地は序序に拡がってきた。ここではお払い箱になったコンテナや緩急車までが建物に姿を変え、陣地拡大に一役買っている。中庭にはこの土地の出来事を俯瞰してきたケヤキの大木が枝葉を広げ、たっぷりと木蔭を作っていた。

 さて、たった15坪の「私の家」である。上空にはツタに覆われたコンテナが跨がっている。緑が繁茂する岩山のようにも見え、その下の室内の暗がりはまるで洞窟のようだ。そう、「私の家」はトレジャーハンターを呼ぶ小さな洞窟。

 床は地面から僅か15センチの高さである。そのため、室内空間は地続きで外部空間と直結し、いとも簡単に庭の広さを飲み込んでしまう。なるほど、これなら家は極小面積で済む訳だ。

 天井には背丈38センチのトラス梁が頭上すぐに露出する。室内を遠慮なく横断する図々しさに少々面喰らうが、物は考えようで和風建築の欄間と思えばそれでよい。装飾的ともいえるトラス梁は同時に建物構造の目玉である。これがなければコンクリートの箱は成り立たず、単なるトラス梁だって立派に主役を張れるのだ。

 壁の「人研ぎ」仕上が鈍い光を放っている。「人研ぎ」とは、大理石などのクズ石をセメントに混ぜたものを塗り、硬化後に表面を研磨・艶出しする工法。物資が乏しかった時代、ひたすら職人の手仕事により磨き上げられた表面は工芸的でさえあり、この家に小さな宝石箱のような気品を与えている。ローコストの家だからこそ一寸の背伸びもしたくなる。

 「続・私の家」も「私の家」と同様、一つながりの空間である。建物構造は鉄骨造、コンクリート造、木造のいわばチャンポンだ。三種の構造体は隠蔽されることなく、すべてあらわになっているが、喧嘩もせずに仲良く同居する。

 つまりは、清家邸の建物群には堅苦しい建築理論が似合わない。そのありようは無邪気でさえある。「難しいことを語る前に自由気ままに考えてごらん」と住宅史に残る名作は建築設計の楽しさ
を教えている。思いがけず少年の夢が詰まった宝箱を発見し、大きな勇気が湧いてきた。(すずき もとき 建築家)

「私の家」(清家清邸)訪問記
2010年11月出版
平凡社・コロナブックス